前沢ひとみ詩集『約束。』

 約束という言葉を改めて考えてみました。すると、私ももういい加減な歳になり、ここしばらく約束をしたことが無いことに気づきました。果たして私は結婚式以降、いつ約束をしたのだろうか、約束などをしたこと無かったのではないだろうかという結論に達しようとした寸前で、様々なことを約束した、させられた、したつもりでいたことに気づいたのです。誰とどんな約束をしたのかは、あまり今の自分とは関係のないことなので、ついここしばらくは約束などしたことが無いと思ってしまったのでした。こんなことを書いていると身勝手なことを書いているとお叱りをうけそうですが・・・。  前沢ひとみ詩集『約束。』(2019年11月20日、株式会社あきは書館発行)は、彼女の第2詩集です。彼女は私にとって、互いに20代で、ある文芸誌の同人として知り合い、それから約40年後の今でもその縁が続いている数少ない詩の書き手です。その上、私と中村が同人として続けている詩誌『回生』に多くの作品を寄稿していただいておりました。こんな昔からのことを書きたくなったのは、そんな長く彼女の詩を読んできていて、彼女の詩について合点がいったことが、これまで一度もなかったことを言いたいがためです。前作の詩集で寄せ書きをさせていただいたのですが、その文章の中で私は彼女の詩を「物理」と表現しました。それは、詩の中に形のある物質が存在し、近づくと跳ね返してくるものがある、だから物質があるというようなことを書いただけで、彼女の詩を自分なりに理解していたかと言えば、全く理解…

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阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』

 水にもまざまな水があり、さまざまな匂いがあり、さまざまな色がある。さらにいえば、海があり、川があり、沼があり、池がある。雨もあり、嵐もあり、雪解けの輝きもある。春の温かな水もあれば、夏の涼しい水もあり、秋を通り越して固まる水もある。そして生まれ故郷の北白川、高田川、田んぼ畔を流れる用水路の水がある。さらに壊れた雨傘のことが未だに忘れられない。  こんなことを書こうとしているわけではないのに、この詩集を読んでいて、ミズのことをずっと書き続けたい気持ちになりました。そんなさまざまなことで水に取り巻かれて生活してきた「わたし」にまつわる出来事や記憶を、忘れ去ったことも含め、本当にあったこととしてこの詩集は蘇させてくれます。まるで切り裂かれた傷の痛みを言葉の力で癒すようにです。さらに、そのことを書き示す言葉が自分にもあるということを教えてくれる優しい言葉たちです。  心地良いかと問われれば、そうには違いないのですが、書けば書くほど次々と溢れ出てくる言葉は、果たして確かな記憶なのかそれとも作り話なのか分からなくなります。そこには自分の見栄や嘘や妬みや欲望も姿を現してくるものですから、悔恨や辛い記憶といった痛みも伴います。   阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』(発行日:2020年3月5日、発行所:書肆山田)を読んでいて、上記のような漠然とした感想を持ちました。言葉には何十、何百、何千、何万、何億、いやそれ以上の意味や表記がありますが、声に出して(心の声でも構わない)読み続けることで…

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瀬崎祐個人誌『風都市』第37号(2020年冬刊)

 瀬崎祐氏の個人誌『風都市』第37号のことを書く前にちょっと前提を書かせていただきます。ここ数日、私は長尾高弘氏の詩集『抒情詩試論?』の感想を書くために、長尾氏の詩集『抒情詩詩論?』を鞄に入れて少しずつ読んでいます。また、それと関連して長尾氏がかつて「詩の源流」と題して尾形亀之助読書会で講演をしていただものを纏めた記録を再読しています。『叙情詩詩論?』については、近いうちに感想をこの情報短信に掲載したいと思っていますが、まず最初にここで書きたかったことは、今回送られてきた個人誌『風都市』第37号の中の瀬崎氏の作品「城壁を越えるときに、鳥は」を読んでいて、長尾氏がずっと書かれている詩についての思考のことが頭を過ぎったということです。  長尾氏は、抒情詩を書かないようにと思い詩を書いていて、結局、後で読んでみると抒情詩を書いてしまっていることに、詩集『抒情詩詩論?』で自虐的に論じています。感情や思考はあくまで個人に生じるものですが、それがなんの弾みか(詩はほとんどの場合に発表を前提として書かれている。)、他の人の共感を得ると、個人のものではなくなり、やがてみんなのものとなり、気がつけば絶対的なものとなる場合があります。感情や思考がまだその人のもの、あるいはその人のごく少数の知り合いの人との間の共有したものであるときには、違う感情や思考に変わったり、日々起きる出来事に影響され違う感情や思考となったり、自分自身でそのことを否定したり、他人の影響を受け変わったりすることは簡単に起きることで…

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