高啓詩集『二十歳できみと出会ったら』(書肆山田)
今年2021年の1月5日に恵贈をいただいた詩集です。これといって私みたいなヘボ詩ばっかり書いていて、詩の道理にはとんちんかんな者にどうして贈られてきたのか、合点がいかないのですが、この立派な装丁の詩集を見捨てるわけにもいかず、ページをめくったのです。正直、気恥ずかしくて最後まで読めませんでした。しかし、どういう訳か今頃になって感想を書き始めています。実のところ、書肆山田という出版社には憧れがあり、自分もその名前の出版社から詩集を出したいと、かつて思っていたことがあり、この詩集を捨てられずにいたということなのですが、他にも理由があります。
というわけで、私には無理だなと思いながら冒頭に納められている詩「二十歳できみと出会ったら」を読んだわけです。とても読み通せませんでした。私が映画を見ることが苦手なことと同じようなことです。描かれている情景が自分のことのように思えると、つい感情移入してしまうのですね。そうなると居ても立っても居られなくなるのです。気が小さいというのか、自分がないというのか、そういう性分なので仕方がないのですが。普通ならこの時点でこの立派な詩集を私は本棚の隅にしばらく仕舞っておいて、付き合いを<終い>にしたのですが、どうもそうはならなかったのです。それは作者が私とほぼ同年齢で、なおかつ児童相談所に勤務していた県職員という、私の同じ時代を生き、同じ仕事をしていた人間だったからなのです。
そういう卑近なことで詩を読むことは最近の私の傾向の一つです。というか、詩とは…