高啓詩集『二十歳できみと出会ったら』(書肆山田)

 今年2021年の1月5日に恵贈をいただいた詩集です。これといって私みたいなヘボ詩ばっかり書いていて、詩の道理にはとんちんかんな者にどうして贈られてきたのか、合点がいかないのですが、この立派な装丁の詩集を見捨てるわけにもいかず、ページをめくったのです。正直、気恥ずかしくて最後まで読めませんでした。しかし、どういう訳か今頃になって感想を書き始めています。実のところ、書肆山田という出版社には憧れがあり、自分もその名前の出版社から詩集を出したいと、かつて思っていたことがあり、この詩集を捨てられずにいたということなのですが、他にも理由があります。  というわけで、私には無理だなと思いながら冒頭に納められている詩「二十歳できみと出会ったら」を読んだわけです。とても読み通せませんでした。私が映画を見ることが苦手なことと同じようなことです。描かれている情景が自分のことのように思えると、つい感情移入してしまうのですね。そうなると居ても立っても居られなくなるのです。気が小さいというのか、自分がないというのか、そういう性分なので仕方がないのですが。普通ならこの時点でこの立派な詩集を私は本棚の隅にしばらく仕舞っておいて、付き合いを<終い>にしたのですが、どうもそうはならなかったのです。それは作者が私とほぼ同年齢で、なおかつ児童相談所に勤務していた県職員という、私の同じ時代を生き、同じ仕事をしていた人間だったからなのです。  そういう卑近なことで詩を読むことは最近の私の傾向の一つです。というか、詩とは…

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詩誌『卓上作法』第3号

 北九州在住の文学研究者で詩人でもある岩下祥子氏が創刊し、編集(編集部が編集なので、他の方々も参加しているかもしれません)を行っている詩誌『卓上作法』(table manner)第3号(2021年1月22日発行、非売品)が届きました。岩下氏とは彼女の研究論文が縁で一度、詩誌『回生』が主催して行っていた「無意味な意味の尾形亀之助読書会」にゲストとしてお呼びして、講和をしていただき、それが縁でこのように時々、詩に関する書物を送っていただいています。  詩誌『卓上作法』は、岩下氏が国語(近代文学、日本語文学論等)の教壇に立っている高等専門学校の生徒さんを同人とする詩誌です。ですから詩の書き手は20歳代前後の若い方ということになります。そこに、岩下氏が加わり形ができあがっています。詩誌の題名からすると、先生が詩の作法をテーブルマナーの講習会みたいな感じで実地に教えているということかなと、3号目にして初めて気づいた次第です。    この詩誌は前提として4号で廃刊となることが最初から決まっているので、もっと創刊号のときからそういう物理的な目標あるという観点で読むべきだったと思ったのですが、時遅し、私は漠然と、ただただ詩の同人誌なんだなと言う捉え方をしてしまい、もう少し同人誌として掲げている創刊の意図を考えるべきだったなと、ちょっと勿体無いことをしたと思っています。しかし、よく考えてみればそんなことを気にせずに読めたのは幸運だったという気もしないわけではありません。「幸運」と言うことにどれほど…

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岩下祥子詩集『うさぎ飼い』

 岩下祥子詩集『うさぎ飼い』(発行:2020年11月30日、発行所:石風社)は、彫刻のような詩集です。それもブロンズのゴツゴツした肌触りのある、手のひらに載りそうで、それでいて全体像が見えない。どのように認識すれば良いのか分からない言葉達です。でもしっかりと形は見えるのですから厄介なのです。  私の理解はこうです。気兼ねなく大きく広げられた紙があり、そこにはたくさんの言葉が書かれているのですが、玄関の間口が狭く、その大きな紙は二つ折りに畳まなければ取り出すことができない。そこで問題となるのが、<私>はその紙に何が書かれているのかわからず、狭い入口から手を出すこともできず、どうやって二つに広げられた大きな紙を畳んで取り出してよいのかわからないもどかしい状況なのです。  もっと具体的に書くと、折り畳まれた短歌を寄せ集めたような詩です。短歌は音韻と言い換えてもよいです。例えば    ちがわない人と受話器越しに喋っていた    い。その唇はこの声の何秒前に発音して    いるんだろう。天井から見てみたい。部    屋は予想通り片付いているだろう。予告    しなくちゃ。火曜日の夜、上から覗きま 
   す。私が見たくないものは隠してください。                   注:最終行は句読点半角処理                詩「たまくらに」第1節  この詩片をひらがなだけで以下の表記させていただきます。    ちがわないひ…

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