詩誌『霧笛』第133号

 久しぶりに詩誌『霧笛』のことを書かせていただきます。この2年ぐらいの間、私は送られてくる詩誌や詩集には目を通していませんでした。理由は、自分が生きるということを否定していたからです。かと言っても死ぬことは無理だと自覚していましたから、ただ時間が通り過ぎるのをじっと我慢して待っていました。なので、ほとんど生活のための差し迫った用事以外は出歩かずに家で横になる日々を過ごしていました。  そんなありさまでしたので、当然に、詩誌『霧笛』と編集者の千田基嗣氏の詩集が送られてきていましたが、私はそれらを、商店街の看板や広告の前を時間が通り過ぎるように、なんの感情を持たずやり過ごしていました。  変なことを最初に書きましたが、何を言いたいのかいうと、久しぶりに詩誌『霧笛』を読んだと言いたかったのです。久しぶりに詩誌『霧笛』(第133号)を読んだ印象は「変わらないな」というものでした。いつものとおりに「生」に対して肯定的な作品が並んでいます。無理をしているのかな、皆んな。などと疑ったりしたくなるのですが、詩とはこういう生きることに対して一所懸命なものからしか生まれないものなのだろうかと考え込んだりもしてしまいます。きっと皆んな、言葉の背後には私が想像もできないほどの苦しみ、辛さ、死にたいと思うほどの痛みを抱えているはずです。それらをそのまま吐き出そうとどうしてしないのだろうかと思ったりもするのですが、そんなことをしていたらせっかくの詩の言葉が汚れてしまうということなのでしょうか。辛い自分がさ…

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前沢ひとみ詩集『約束。』

 約束という言葉を改めて考えてみました。すると、私ももういい加減な歳になり、ここしばらく約束をしたことが無いことに気づきました。果たして私は結婚式以降、いつ約束をしたのだろうか、約束などをしたこと無かったのではないだろうかという結論に達しようとした寸前で、様々なことを約束した、させられた、したつもりでいたことに気づいたのです。誰とどんな約束をしたのかは、あまり今の自分とは関係のないことなので、ついここしばらくは約束などしたことが無いと思ってしまったのでした。こんなことを書いていると身勝手なことを書いているとお叱りをうけそうですが・・・。  前沢ひとみ詩集『約束。』(2019年11月20日、株式会社あきは書館発行)は、彼女の第2詩集です。彼女は私にとって、互いに20代で、ある文芸誌の同人として知り合い、それから約40年後の今でもその縁が続いている数少ない詩の書き手です。その上、私と中村が同人として続けている詩誌『回生』に多くの作品を寄稿していただいておりました。こんな昔からのことを書きたくなったのは、そんな長く彼女の詩を読んできていて、彼女の詩について合点がいったことが、これまで一度もなかったことを言いたいがためです。前作の詩集で寄せ書きをさせていただいたのですが、その文章の中で私は彼女の詩を「物理」と表現しました。それは、詩の中に形のある物質が存在し、近づくと跳ね返してくるものがある、だから物質があるというようなことを書いただけで、彼女の詩を自分なりに理解していたかと言えば、全く理解…

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阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』

 水にもまざまな水があり、さまざまな匂いがあり、さまざまな色がある。さらにいえば、海があり、川があり、沼があり、池がある。雨もあり、嵐もあり、雪解けの輝きもある。春の温かな水もあれば、夏の涼しい水もあり、秋を通り越して固まる水もある。そして生まれ故郷の北白川、高田川、田んぼ畔を流れる用水路の水がある。さらに壊れた雨傘のことが未だに忘れられない。  こんなことを書こうとしているわけではないのに、この詩集を読んでいて、ミズのことをずっと書き続けたい気持ちになりました。そんなさまざまなことで水に取り巻かれて生活してきた「わたし」にまつわる出来事や記憶を、忘れ去ったことも含め、本当にあったこととしてこの詩集は蘇させてくれます。まるで切り裂かれた傷の痛みを言葉の力で癒すようにです。さらに、そのことを書き示す言葉が自分にもあるということを教えてくれる優しい言葉たちです。  心地良いかと問われれば、そうには違いないのですが、書けば書くほど次々と溢れ出てくる言葉は、果たして確かな記憶なのかそれとも作り話なのか分からなくなります。そこには自分の見栄や嘘や妬みや欲望も姿を現してくるものですから、悔恨や辛い記憶といった痛みも伴います。   阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』(発行日:2020年3月5日、発行所:書肆山田)を読んでいて、上記のような漠然とした感想を持ちました。言葉には何十、何百、何千、何万、何億、いやそれ以上の意味や表記がありますが、声に出して(心の声でも構わない)読み続けることで…

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