やまうちあつし詩集『Tis is a pen』

 やまうちさんが書く詩は、詩集『This is a pen』の表紙に描かれた絵の印象からも、この世のものとは思えない寓話の世界を彷彿させます。それは、この詩集に限ったことではなく前の詩集にも当てはまります。  いざ、詩集のページを捲り、読み始めると最初に次のような言葉に出会います。    わたしのむねのゆうやけを  そして最初の詩「哺乳類の絶滅」が始まります。    悲しみをとぼとぼ辿っていくと、駅のホームに辿り着いていた。なん    だ、もう一度出発なんだ。そう気付いた時には、もう旅人の顔をして    いる。ホームには、自分以外の人影は見えない。柱に繋がれた雑種犬    と、自愛に余念がない天使。                詩「哺乳類の絶滅」最初の4  ああ、これはまさに寓話の世界だと改めて思うのですが、しかし、それが何を喩えているのか、そこに見えている水面の波の表情を作っているであろう深海での出来事に思い巡らすことはどこか無駄なような気がしてしまうのです。それはいつものことで、私はついぞやまうち氏の言葉をわかったためしがありません。この場合、「わかった」に正解がないはずだから、私の理解は独りよがりな勝手な思い込みでもよいのですが、それすらありません。大分前に詩集『my songs』の感想を書いたときも、読み返してみると何も分からないということを白状しているような文章で、今、最新詩集『This is a pen』の感想を書くに当た…

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高啓詩集『午後の航行、その後の。』

 高啓氏の詩は前に感想をかかせていただいた『二十歳できみと出会ったら』(2020、書肆山田)もそうですが、行頭開始の連と行頭一字下がりの連が断続的に続きます。どうもその違いが気になってしまいます。大して意味がないような気もするし、そうではなくそうせざるを得ない理由があるような気もします。     棚の陰からこちらを窺っているような気がした     なつかしい誰かと     チャカチャカというちかしげなその足音と    だから入り口でそっとその小舟を手にとり    上と下とにコンテナを載せてすぐさま推しだすのだ    アカ、キ、ダイダイ、アオバイロにオウドイロ    野菜売り場では初手から女が奇妙な色物たちを籠に入れる    するとあさっての悪心みたいな午後の眠気に堪えながら    女に就いての午後の航行がはじまる                詩「午後の航行」最初の2連  ここで2連目の始まりとなる言葉「だから」の前提となる状況は、一連目の詩行で書かれていることとどんな関係があるのだろうかと考えてみたくなります。この詩集の後に出版された『二十歳できみに出会ったら』では違いが整理されていたと感じていましたが、その理解ではどうもこの詩集では通用しないようです。          ということで     航路の終わりはパン売り場の片隅のジャムの棚     ストロベリーとブルーベリーをひと瓶ずつ手に取ると     なつかしい誰か     …

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瀬崎祐個人誌『風都市』第39号

 とある遠方で開催された勉強会でオランダの精神科診療所とオンラインで結び、油粘土を使ったアートセラピーの模擬体験をした。事前にはなんの説明もなく、遙か海の向こうのオランダのセラピストの指示に従って私たちは粘土を捏ねて形を作った。  「目を瞑って自分の周りに手を伸ばし、自分の身体が立っているその場の空間を感じてください。次にその空間を感じながら粘土で四角い立方体を作ってください。それは椅子です。今度はその椅子の上に座っている人を作ってください。自分の足や腕や胴体、そして頭に触れて感じながら丁寧に形を整えてください。できあがりの形の善し悪しは関係ないです。大切なことは自分を感じながら丁寧に形を作ることです。」    そうやってできあがった椅子に座った人はいびつでへんてこりんな姿をしていたが、まぎれもない人の形であった。そして、大切に家に持って帰るまでがセラピーですと言われ、帰宅するまでの間、私は大切にそれを扱った。今、自宅に帰った彼が、私の目の前にいる。それは自分にとって、とても大切なものに思える。  瀬崎氏の詩に対する私の印象は、それに似ている。それとは、油粘土の人間に似ているのではなく、形をつくるわたしの意識や大切に作った人形を見ている私の思い、そこに至るまでの気持ちの動きが似ているのである。    それでは楽にしてお待ちしてください        それではって    今まで何があったのだろう    手錠をはめられた女がいぶかしがる       …

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