瀬崎祐『水分れ、そして水隠れ』

   倉敷在住の詩人瀬崎祐氏が2022年7月に出版した7冊目の新しい詩集『水分れ、そして水隠れ』(2022年、思潮社)の感想を書かせていただきます。  丸背上製本、背幅は約1センチ、縦長のA5判変形なので、普段見慣れたコピー用紙の縦横の比率から少し離れ、小さくもなく重くもなく、手に馴染みやすい作りです。その本を包むカバーは硬い上質紙でしょうか、青味がかった濃いグレーを基調とした落ち着いた風合いです。その色が水に溶けて滲むようにモノトーンの写真が薄く貼り付いています。  画像は誰も通らなくなり荒れ果てた道らしく、通行を遮る柵が左側に見え、右上には道路標識が写っています。手前に目を遣ると雑草が生い茂り、人の通りがなくなった山間の荒れた場所を思わせます。道の奥は霧で覆われているのでしょうか薄ぼんやりとして視界が遮られていますが、じっと目を凝らしているとその奧から光が射しているようで、輝いているようにも見えます。でも、こちら側にはその光は届いていないようにも感じられます。その光の明るい色の中に浮き上がるように表題と著者名が同じ青味がかったグレーの色を使いウエイトが細くキレのある書体で印字されています。光が見えているということは当然に見ている自分には光が届いているはずなのに、その光を自分では遮ることも写し取ることも、どうにもできそうがないのです。  朝の景色でしょうか、見返しを捲ると、薄水色の透かしの用紙にカバーの表題と著者名の印字と同じ書体で表題と著者名が現れ、上の方と下の方に…

続きを読む

やまうちあつし詩集『Tis is a pen』

 やまうちさんが書く詩は、詩集『This is a pen』の表紙に描かれた絵の印象からも、この世のものとは思えない寓話の世界を彷彿させます。それは、この詩集に限ったことではなく前の詩集にも当てはまります。  いざ、詩集のページを捲り、読み始めると最初に次のような言葉に出会います。    わたしのむねのゆうやけを  そして最初の詩「哺乳類の絶滅」が始まります。    悲しみをとぼとぼ辿っていくと、駅のホームに辿り着いていた。なん    だ、もう一度出発なんだ。そう気付いた時には、もう旅人の顔をして    いる。ホームには、自分以外の人影は見えない。柱に繋がれた雑種犬    と、自愛に余念がない天使。                詩「哺乳類の絶滅」最初の4  ああ、これはまさに寓話の世界だと改めて思うのですが、しかし、それが何を喩えているのか、そこに見えている水面の波の表情を作っているであろう深海での出来事に思い巡らすことはどこか無駄なような気がしてしまうのです。それはいつものことで、私はついぞやまうち氏の言葉をわかったためしがありません。この場合、「わかった」に正解がないはずだから、私の理解は独りよがりな勝手な思い込みでもよいのですが、それすらありません。大分前に詩集『my songs』の感想を書いたときも、読み返してみると何も分からないということを白状しているような文章で、今、最新詩集『This is a pen』の感想を書くに当た…

続きを読む

高啓詩集『午後の航行、その後の。』

 高啓氏の詩は前に感想をかかせていただいた『二十歳できみと出会ったら』(2020、書肆山田)もそうですが、行頭開始の連と行頭一字下がりの連が断続的に続きます。どうもその違いが気になってしまいます。大して意味がないような気もするし、そうではなくそうせざるを得ない理由があるような気もします。     棚の陰からこちらを窺っているような気がした     なつかしい誰かと     チャカチャカというちかしげなその足音と    だから入り口でそっとその小舟を手にとり    上と下とにコンテナを載せてすぐさま推しだすのだ    アカ、キ、ダイダイ、アオバイロにオウドイロ    野菜売り場では初手から女が奇妙な色物たちを籠に入れる    するとあさっての悪心みたいな午後の眠気に堪えながら    女に就いての午後の航行がはじまる                詩「午後の航行」最初の2連  ここで2連目の始まりとなる言葉「だから」の前提となる状況は、一連目の詩行で書かれていることとどんな関係があるのだろうかと考えてみたくなります。この詩集の後に出版された『二十歳できみに出会ったら』では違いが整理されていたと感じていましたが、その理解ではどうもこの詩集では通用しないようです。          ということで     航路の終わりはパン売り場の片隅のジャムの棚     ストロベリーとブルーベリーをひと瓶ずつ手に取ると     なつかしい誰か     …

続きを読む