瀬崎祐個人誌『風都市』第39号

 とある遠方で開催された勉強会でオランダの精神科診療所とオンラインで結び、油粘土を使ったアートセラピーの模擬体験をした。事前にはなんの説明もなく、遙か海の向こうのオランダのセラピストの指示に従って私たちは粘土を捏ねて形を作った。  「目を瞑って自分の周りに手を伸ばし、自分の身体が立っているその場の空間を感じてください。次にその空間を感じながら粘土で四角い立方体を作ってください。それは椅子です。今度はその椅子の上に座っている人を作ってください。自分の足や腕や胴体、そして頭に触れて感じながら丁寧に形を整えてください。できあがりの形の善し悪しは関係ないです。大切なことは自分を感じながら丁寧に形を作ることです。」    そうやってできあがった椅子に座った人はいびつでへんてこりんな姿をしていたが、まぎれもない人の形であった。そして、大切に家に持って帰るまでがセラピーですと言われ、帰宅するまでの間、私は大切にそれを扱った。今、自宅に帰った彼が、私の目の前にいる。それは自分にとって、とても大切なものに思える。  瀬崎氏の詩に対する私の印象は、それに似ている。それとは、油粘土の人間に似ているのではなく、形をつくるわたしの意識や大切に作った人形を見ている私の思い、そこに至るまでの気持ちの動きが似ているのである。    それでは楽にしてお待ちしてください        それではって    今まで何があったのだろう    手錠をはめられた女がいぶかしがる       …

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詩誌『卓上作法』第3号

 北九州在住の文学研究者で詩人でもある岩下祥子氏が創刊し、編集(編集部が編集なので、他の方々も参加しているかもしれません)を行っている詩誌『卓上作法』(table manner)第3号(2021年1月22日発行、非売品)が届きました。岩下氏とは彼女の研究論文が縁で一度、詩誌『回生』が主催して行っていた「無意味な意味の尾形亀之助読書会」にゲストとしてお呼びして、講和をしていただき、それが縁でこのように時々、詩に関する書物を送っていただいています。  詩誌『卓上作法』は、岩下氏が国語(近代文学、日本語文学論等)の教壇に立っている高等専門学校の生徒さんを同人とする詩誌です。ですから詩の書き手は20歳代前後の若い方ということになります。そこに、岩下氏が加わり形ができあがっています。詩誌の題名からすると、先生が詩の作法をテーブルマナーの講習会みたいな感じで実地に教えているということかなと、3号目にして初めて気づいた次第です。    この詩誌は前提として4号で廃刊となることが最初から決まっているので、もっと創刊号のときからそういう物理的な目標あるという観点で読むべきだったと思ったのですが、時遅し、私は漠然と、ただただ詩の同人誌なんだなと言う捉え方をしてしまい、もう少し同人誌として掲げている創刊の意図を考えるべきだったなと、ちょっと勿体無いことをしたと思っています。しかし、よく考えてみればそんなことを気にせずに読めたのは幸運だったという気もしないわけではありません。「幸運」と言うことにどれほど…

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個人誌『風都市』第38号

 詩とは一体何のために書くのだろうか。書く目的などないのだろうか。ただ書きたいから書くのだろうか。読んでもらいたいから書いているのだろうか。瀬崎祐氏の詩を読んでいて、そんなことを考えていました。人それぞれに詩を書く理由は違うのでしょうが、この人はどんな思いで詩を書いているのだろうかと真っさらになって考えたくなったのです。  それだけ瀬崎氏の詩が何を伝えたいのか分からないということなのですが。それが瀬崎氏の詩の魅力なのだと思います。難解なら難解で理解できるのですが、そうではなくて、わかりやすそうで何かがずれているので勝手に読み手が勘違いをしてしまうというわかりづらい魅力です。読み手に何が伝わろうが自由だし、作品として世に出たからには後は読み手が受け止めたことが、作者の意図とは関係なくその詩になるわけですが、そこに確信を持てないところが良いのですね。  この頃私は北園克衛の最初の詩集『白のアルバム』に収められている圖形説と名付けられた章に入っている視覚詩とも呼ばれる図形のような詩を活字を組んで再現する試みを行なっているのですが、その後に続く北園克衛のプラスチックポエムまでを視野に入れて考えてみると、事物の意図的な配置により構成された空間を写真に映し、それを印刷して詩として提示する試みは、詩に現れてくる言葉の意味を否定または剥奪し、あるいは意味を過剰化し、あるいは一旦差し置いて、新しい瞬間を時間から取り出そうとして新たな世界を提示していいるのだろうなと思うのです。つまり生きているとい…

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