絵本が届きました。発行者は気仙沼自由芸術派 詩人千田基嗣さん。絵は、山本重也さん。絵本の題名は「湾」。発行は2024年11月23日。
この絵本を手にした時に最初に思ったことは、40年前の1984年に発行された千田さんの最初の詩集『湾』のことでした。それは題名が同じということよりも、絵本の姿形を見て触った瞬間に、詩集『湾』の小さな詩集の姿が浮かんできたのです。それはどうしてか、自分でもわかりませんでした。
詩集『湾』は、B6サイズで28頁の小さな詩集です。収録されている詩は9篇。あとがきもなく、最後のページの作者紹介のクレジットには、名前の下に小さな文字で「1956年生」と書かれているだけでした。荷物の梱包に使われるような茶色のざらついた紙の表紙。薄い本文用紙。詩集の題名の下に「千田基嗣 book let 1」と書かれています。言葉の通りに、小さな小冊子です。丸めてカバンに入れて持ち歩きたくなるような詩集です。でも、すぐに傷んでしまうような質素な詩集。それだけに、初々しさが感じられます。わたしは、本棚からその詩集『湾』を取り出して読み始めました。
絵本『湾』のことに戻ります。千田氏は、絵本『湾』のあとがきで、「絵本を創ることは夢だった。/固い表紙の上質な絵本。」と書いています。絵本というと児童書のようなイメージを持ちますが、表紙に「Picture book “the BAY”」と書かれているとおりに、絵を見る本ということです。そして、絵を見ると同時に、山本重也さんの一つの絵に千田さんの一つの詩が合わさり、見開きで広げた一つの世界を作っています。
最初の見開きのページは、「光る海」というページです。千田さんの詩は詩集『湾』の冒頭にある詩「光る海」です。全文引用します。
光る海
緑におおわわれた島
を浮かべ
緑におおわれた低い山地
に抱かれ
ここは隔絶した小宇宙だ
海と地との幸福な結合だ
岬に続く丘の中腹の
木造建築の屋根にのぼって
中学生のぼくは
午前の太陽に輝く海
を見ていた
湾は凪いで
細かな波にきらきら光が映る
港で生れ港で育った少年が
光る海
を発見した
むこうに亀山が見えた
焦茶色のトタン屋根がだんだん熱くなる
詩「光る海」全文
次に絵本『湾』の「光る海」を全文引用します。
光る海
緑におおわわれた島を浮かべ
緑におおわれた山なみに抱かれ
ここは一個の小宇宙だ
海と地との幸福な出会いだ
中学生のぼくは
岬に続く丘の中腹の
木造建築の屋根にのぼって
午前の
太陽に輝く海を見ていた
湾は凪いで
細かな波にきらきら光が映る
港で生まれ港で育った少年が
光る海を発見した
むこうに亀山が見えた
焦茶色のトタン屋根がだんだん熱くなる
絵本「光る海」全文
この「光る海」という同じ二つの詩は、ほとんど同じ言葉で綴られていますが、いくつかの行で改行の位置が改められたりしています。また、「低い山地」が「山なみ」という言葉に、「隔絶した小宇宙」が「一個の小宇宙」という言葉にと、言葉がより柔らかく、包み込むような言葉に変わっています。
些細なことではあるのですが、この違いが、千田さんが気仙沼で生活し、「気仙沼自由芸術派」と、名乗るようになり、何十年も表現行為を続けてきことで、培ってきた表現が見えてくるように思うのです。
特に、詩の言葉の中で名詞の後に続く助詞が、詩集『湾』でが詩行の冒頭に来ていたものが、絵本『湾』では改められていることに、単なる文章を読みやすくすること以上の意味があるような気がするのです。「緑におおわれた島/を浮かべ」、「緑におおわれた低い山地/に抱かれ」、「午前の太陽に輝く海/を見ていた」、「光る海/を発見した」という改行が絵本『湾』ではされなくなっています。私の印象は、詩集『湾』では「島」、「山地」、「海」と、行を区切ったことで、気仙沼の風景に詩人が何かの感慨を持って対峙していたように感じるのです。そして、絵本『湾』では改行が消え、文章がなだらかになったことで、気仙沼の自然に詩人が包まれるような、そんなことに印象に変わりました。この違いの変化は、単に詩の表現が変わっただけには止まらない、とても自然だし、美しいなぁ〜と思います。
千田さんの詩は、奥様と朗読をするようになってから変わってきたように思っていました。でも、さきほど私が書いた変化が、単に朗読をするようになって起こったことではないのだと、この絵本を見ながら考えていました。東日本大震災のこともありましたし、長い何十年という歩みの中で徐々に生まれてきたことなのだと思います。
大切な気仙沼の自然や街や人を固い表紙でしっかりと守り、包み込む、そんな絵本です。
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