今年2021年の1月5日に恵贈をいただいた詩集です。これといって私みたいなヘボ詩ばっかり書いていて、詩の道理にはとんちんかんな者にどうして贈られてきたのか、合点がいかないのですが、この立派な装丁の詩集を見捨てるわけにもいかず、ページをめくったのです。正直、気恥ずかしくて最後まで読めませんでした。しかし、どういう訳か今頃になって感想を書き始めています。実のところ、書肆山田という出版社には憧れがあり、自分もその名前の出版社から詩集を出したいと、かつて思っていたことがあり、この詩集を捨てられずにいたということなのですが、他にも理由があります。
というわけで、私には無理だなと思いながら冒頭に納められている詩「二十歳できみと出会ったら」を読んだわけです。とても読み通せませんでした。私が映画を見ることが苦手なことと同じようなことです。描かれている情景が自分のことのように思えると、つい感情移入してしまうのですね。そうなると居ても立っても居られなくなるのです。気が小さいというのか、自分がないというのか、そういう性分なので仕方がないのですが。普通ならこの時点でこの立派な詩集を私は本棚の隅にしばらく仕舞っておいて、付き合いを<終い>にしたのですが、どうもそうはならなかったのです。それは作者が私とほぼ同年齢で、なおかつ児童相談所に勤務していた県職員という、私の同じ時代を生き、同じ仕事をしていた人間だったからなのです。
そういう卑近なことで詩を読むことは最近の私の傾向の一つです。というか、詩とはそもそも読者の勝手な思い込みで成立している訳です。
最近の私は、詩集をほとんど読みません。たまにいただく詩集もそのほとんどは礼状も書かずに、数ヶ月後には雨が降っていない月の第1、第2、第3土曜日に近くの集荷場にせっせいと運ぶことになります。その日は、紙ゴミの搬出日だからです。
でも、気になった詩集は読みます。それは捨てられない理由があると言ったら一番しっくりとくるのかなと思います。詩誌についても同様です。この私が詩集の捨てられない理由は、決まった理由はなくそれぞれの場合なのですが、自分にとって、集約してみるとその時々で自分にとって価値があるかどうかということになるのかなと思います。その価値とは何かと尋ねられても「なんとなく」なので皆目わからないのですが。
詩集の標題詩である「二十歳できみと出会ったら」では、<自分が>六歳できみと出会ったら、うんぬんかんぬん。十歳できみと出会ったら、うんぬんかんぬん。十五歳できみと出会ったら、うんぬんかんぬん。十八歳で・・・といった具合に、その後も二十歳、二十七、三十五、四十二、五十五、最後に六十一と続き、それぞれの年齢が一つの連を形作り、言葉が綴られています。そして、その連の間(最初の連は冒頭に導入の言葉として置かれています。)にときどき一字下げて違う連が入り込みます。一字下げられた言葉は、四歳の孫を可愛くもあり、愛しくも思うおじいちゃんの目線で書かれています。
その一字下げられた部分の最初の連と最後の連を引用させていただきます。
手をつないで公園を歩いているのだが
むこうに池が見えてくると手を離して駆けていく
そのうつくしい曲線をかつてどこかで視たような気がする
ほんとうは日々をただそのために生きてきたくせに
詩「二十歳できみと出会ったら」最初の連
風呂上がりに女は素っ裸で寝そべって
大股開きで四番目の世話人に身体をゆだねる
少し紅味がかった股間には丁寧に
けれど全身には手早くローションを塗り
昼間の疲れで眠りこけそうなところを
いそいでパジャマに着替えさせる
おまえはおれよりも五十七年も遅れてこの世に生まれた
それに少しだけおれに似てる
おまえと恋をすることはない
だから
おれはもう誰とも恋することなく死んでいくだろう
そう戯れに口ずさんでみる
詩「二十歳できみと出会ったら」最後の連
1字下げのない連には、歳を重ねるにしたがって成熟してゆく、女性への憧れや性欲、性癖にまつわるつぶやきが書かれています。
例えば
十五できみに出会ったら
きみが編んだ長い長いマフラーでふたりの首をつなぎ
電柱の下が照らされた雪の道を歩いて帰るだろう
セーラー服の胸のふくらみに落ち着かなくなったぼくは
物陰で急にきみを抱きしめてくちびるを重ねようとして
きみにいとしいビンタをくらうだろう
詩「二十歳できみと出会ったら」第五連
六十一できみと出会ったら
ひたすら荒廃していくこの世界のなかに
まだかろうじて残る意味を探そうとして
ぼくは何度も何度もきみを愛撫するだろう
そして何度目かにきみが
我慢していたの と痛みを口にすると
ぼくははじめてじぶんの愚かさを悟り
きみのなかに神々しい性をみるだろう
詩「二十歳できみと出会ったら」第十五連
この詩について私が合点がいったのは詩集をいただいてから半年近く過ぎてからでした。私には三歳の孫がいます。可愛い孫と自分の女性に向けた性的な思いを重ねて詩編に書くことは、嫌悪感を思えるのですが、なんとなくわかります。詩は、思ってはいけないことを言葉にする行為なのかもしれません。そして詩語はそのことを美しく隠すのです。
この詩人は、はじまりの連を契機として、以後、二つの違う時間の詩の言葉を、通常の一字目からの連と、一字下げた連で重ねてゆくのが好きなようです。その間合いがリズミカルに詩を紡いでゆく原動力になるかのようです。詩「さらば、詩人」も同様です。時間の流れは違いますが、同様で、それぞれの連は紛れもないその時々の自分です。
半年も過ぎてこの詩集を捨てられない理由を書きましたが、一番の捨てられなかった理由は詩「夏の終わりの雲について」を読んだからです。
それは定年前の最後の一年を
自ら望んで一時保護所で過ごしたからでもない
再任用で虐待通告を受け付ける仕事に就いたから
つまり児を怒鳴るとすぐ通告されると知ったから
というわけももない
ヒラの身に戻ったじぶんが
ただ何様でないと思い知らされたから
詩「夏の終わりの雲について」第三連
公務員は基本的に60歳定年です。60歳になった年の3月末に退職します。しかし、今は年金はすぐにはもらえませんから、多くの方は別の会社や役所に再就職という形で働き続けます。どうも詩人高啓は、これまでの年功序列で得た、あたかも経験を積んで得たと思っていた役職から、これまでの経験が何の役にも立たないただの一職員として県に再就職をして働いたようです。しかも、私が児童相談所に十数年働いた中で最も働きたくない職場と思っていた児童相談所の一時保護所に希望して働いたらしいのです。それを読んでこの詩集を本棚の隅に仕舞っておくことをせずに感想を書こうと思ったのでした。そこには私の純粋な詩への興味ではありませんでした。あったのは、私と、詩作を続けながら、同時代を同じような仕事をして生活していた人が、いったいどうして詩を書き続けているのかということへの興味でした。
これまで30数年働いてき社会に貢献してきたその実績が、結果的には周りの人間にとってはあまり価値を持たなかった現実を受け入れるのは大変な葛藤が生じます。自尊心を持って世間に通用する知識や技術を身につけたと思ったことがほとんど通用しないのです。いや逆に、そのことを職場で吹聴すればするほど嫌われるのではないかと思ってしまうのです。結果、自分を受け入れてくれる場所を喪失する体験を、凝り固まった自意識を捨てられずに持ってしまうのです。前述の詩の連に続く連です。
満たされないことに沼田(ぬた)うって
それをやさぐれたことでしか表せないきみを
このあたりにひたと抱きしめ
ともに生きる意思を受け入れてもらえたとき
ぼくもまたきみに容(ゆる)される
詩「夏の終わりの雲について」第四連
これからも、生きようとする人は、何かに向かって自分らしく生きてゆかなければ辛いです。さまざまな思いがあるのでしょうが、なにかを拠り所にして自分を慰め、無力なありのままの自分に素直になれる日を過ごすことできっと楽になれるはずです。
言葉を紡ぐことで、様々な思いを持ちながら、素直に生きようとしている、でもできないということが感じられる詩集でした。
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