
久しぶりに詩誌『霧笛』のことを書かせていただきます。この2年ぐらいの間、私は送られてくる詩誌や詩集には目を通していませんでした。理由は、自分が生きるということを否定していたからです。かと言っても死ぬことは無理だと自覚していましたから、ただ時間が通り過ぎるのをじっと我慢して待っていました。なので、ほとんど生活のための差し迫った用事以外は出歩かずに家で横になる日々を過ごしていました。
そんなありさまでしたので、当然に、詩誌『霧笛』と編集者の千田基嗣氏の詩集が送られてきていましたが、私はそれらを、商店街の看板や広告の前を時間が通り過ぎるように、なんの感情を持たずやり過ごしていました。
変なことを最初に書きましたが、何を言いたいのかいうと、久しぶりに詩誌『霧笛』を読んだと言いたかったのです。久しぶりに詩誌『霧笛』(第133号)を読んだ印象は「変わらないな」というものでした。いつものとおりに「生」に対して肯定的な作品が並んでいます。無理をしているのかな、皆んな。などと疑ったりしたくなるのですが、詩とはこういう生きることに対して一所懸命なものからしか生まれないものなのだろうかと考え込んだりもしてしまいます。きっと皆んな、言葉の背後には私が想像もできないほどの苦しみ、辛さ、死にたいと思うほどの痛みを抱えているはずです。それらをそのまま吐き出そうとどうしてしないのだろうかと思ったりもするのですが、そんなことをしていたらせっかくの詩の言葉が汚れてしまうということなのでしょうか。辛い自分がさらに辛くなるからやっていられないとでも思うのでしょうか。いずれにせよ詩誌『霧笛』は変わっていないなとつくづく思うのです。
2年という年月は過ぎてしまえばあっという間のものだったと私自身が感じているのですから、変わらなくてもなんら不思議ではないのですが、だからかもしれませんが、小さなことなのですが、変わったことが妙に気になりました。
ひとつは、西城健一氏が短歌を掲載していることです。短歌を掲載していること自体なんら不思議ではないのですが、その作品がとても面白いなと思ったのです。何が面白いかと言うと、これまで美しい街を詠っていた西城氏が自分のことを詠っているからちょっと、あれ!違うなと思ったのでした。西城氏の眼差しの先にある対象が詩と短歌で明かに違っているのです。
今、電気の明りが
主役になり
人々の生活を豊かにしている
文明の豊かさが
ストレス社会をつくり
人間不信に陥り
月を見ることを
忘れている
月は今も
神々しく
幽玄に
輝いている
自然の営みは
変らず
人々の生活を
照らし続けている
月を愛でる
自分の心を
癒す
詩「月を愛でる」第3節以降全文
ここでは電気が通り生活が明るくなり豊かになった気仙沼に暮らす人々のことが文明批判とともに描かれています。西城氏は自分自身を気仙沼で暮らす人々の一人として描いています。一方短歌では
弁当箱すみずみ洗い棚に置く定年退職静かに眠る
サラリーマンランチタイムに行列する280円喜びの値段
路上に皮だけになった蛇がいる世間に踏まれた俺のようだ
傘をさし人混みに押され泣いている優しい雨が負けるなと囁く
短歌「冬芽」9首より5首を抜粋
短歌では、自分を、自分の生活を詠っています。言葉が詩における客観的な言葉から、短歌では主観的な言葉に変化しています。私には、堰を切ったように流れ出した自分という存在を表す言葉、と言っても良いある変化を感じるのです。これまで西城氏は発表はしなくても、ずっと短歌を書いていきたのかどうかわかりませんが、最初に書いた文章で言えば、言葉の背後にあるものが淀みなく歌として流れはじめ、表現となったと思った次第です。
では、どうして詩ではなく短歌ではなければいけなかったのか。本人はあまり気にしていないのかもしれませんが、どうしても気になります。私の勝手な解釈を許していただければ、それは自分の思いを音にしたかったのでは、声にしたかったのではなかったかと考えるのです。言葉にするのではなく、文字にするのではなく、口ずさみたかったのではないかと思うのです。人はある瞬間、ふと浮かんできた思いを認識するときに自問自答を繰り返します。その結果、これでよしとなったものが言葉や文字となります。ですから、煩わしさから逃れ、自由になり、それ以前の思いをそのまま表現したかったのではないでしょうか。それには何かきっかけがあったかと思うのですが、それは私にはわかりません。
俳句はどちらかといえば五感を共有することで表現を伝えるものです。言葉を表意文字として遣う傾向があります。その意味から共有を前提としない抽象的な表現である詩とは親和性をあまり持っていません。親和性を持っていないからこそ、互いの表現の工夫を取り入れることが可能であり、両立がし易いと思います。一方、短歌はどちらかといえば想い、例えば儚さ、辛さ、嬉しさ、恋しさなどの感情を表音文字として伝える表現方法で、袋小路のように完結していることで作品として成立する場合が多いと思います。ですから、詩を書くことと短歌を書くことを両立させることは、同じ作業をすることになり、あまり得策ではありません。
西条氏が短歌を発表し始めたことを小熊が勝手に解釈すれば、詩を書くこととは全く切り離したことで、自分の精神の均衡を保つために選んだ手段ではなかったかと思います。
最後にまた短歌「冬芽」から一首を紹介して終わりたいと思います。
加湿器が蒸気を上げる生き抜けと乾いた心に息を吹きかけ
短歌「冬芽」9首より1首
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