佐々木洋一詩集『でんげん』
まず一つひとつの詩のことを感じたままに書き記すことからこの詩集の感想の記述を始めたい。
冒頭の詩『でんげん』は、詩集の表題となっている。だからと言って、この詩集全体を象徴するような作品ではなく、冒頭に置いたことで詩集の表題にもなったと解したほうがよいと思われる。「でんげん」という言葉はいったいなんなのか。誰しもそう思うのではないかと察するが、最後に表記されている注釈に「*でんげん=田源、田間」と書かれていても漢字一文字ひと文字が表す言葉としての意味はわかるが、漢字二文字が組み合わさって表されるとそれがどんな意味を表しているのかは全くわからない。
作者の感覚でしかないと思われるこの造語は、音の響きから「でんでん」、「でんわ」、「でんりく」、「くりでん」、「でんぐりがえり」、「でんげん(電源)」、「ぐりとぐら」「でんえん」などと音の感覚的な響きから想像はできる。かと言ってオノマトペとも違う。状態や動きを形容する言葉とは思えない。そして、作者自らが「でんげんを漢字で描いてはいけない」(第4連)と書く。
さらにこの詩では気になる表現に出会う。1行目の「畦道に鎮まる」という言葉の「鎮まる」である。読み進めるうちに言葉の意味が分かるのかなと思っていたら、第五連に「畦道に止まる」という言葉が出てきて、畦道に「鎮まる」と「止まる」では違うことを意図して書いていることがわかる。わかるのだが、それがどう違うのかはわからない。動詞の意味として「鎮まる」と「止まる」の違いは判るとして…