高啓詩集『午後の航行、その後の。』
高啓氏の詩は前に感想をかかせていただいた『二十歳できみと出会ったら』(2020、書肆山田)もそうですが、行頭開始の連と行頭一字下がりの連が断続的に続きます。どうもその違いが気になってしまいます。大して意味がないような気もするし、そうではなくそうせざるを得ない理由があるような気もします。
棚の陰からこちらを窺っているような気がした
なつかしい誰かと
チャカチャカというちかしげなその足音と
だから入り口でそっとその小舟を手にとり
上と下とにコンテナを載せてすぐさま推しだすのだ
アカ、キ、ダイダイ、アオバイロにオウドイロ
野菜売り場では初手から女が奇妙な色物たちを籠に入れる
するとあさっての悪心みたいな午後の眠気に堪えながら
女に就いての午後の航行がはじまる
詩「午後の航行」最初の2連
ここで2連目の始まりとなる言葉「だから」の前提となる状況は、一連目の詩行で書かれていることとどんな関係があるのだろうかと考えてみたくなります。この詩集の後に出版された『二十歳できみに出会ったら』では違いが整理されていたと感じていましたが、その理解ではどうもこの詩集では通用しないようです。
ということで
航路の終わりはパン売り場の片隅のジャムの棚
ストロベリーとブルーベリーをひと瓶ずつ手に取ると
なつかしい誰か
…