詩誌『ササヤンカの村』第27号
今年(2017年)の夏前に気仙沼に行き、詩誌『霧笛』の千田基嗣氏が主催する「哲学カフェ」に参加させていただいた。この頃、ネットなどで度々目にする「哲学カフェ」なるものが、どんなことをするものなのか興味があった。
千田氏が、自分の詩集『湾Ⅲ』から幾篇かの詩を奥様と朗読し、それをきっかけにして皆が、ある程度のルールの下、自由に話し始めた。千田氏の詩集『湾Ⅲ』は、東日本大震災が起きた直後の気仙沼の街の風景を描いたものなので、語られる内容は震災のことに集中した。十人ほどの参加者のほとんどは気仙沼の方だったので、ある人が被災した直後の体験談を語れば、違う人がその話を引き継いで、自分の体験を話すという流れで、時間が過ぎていった。
その中でこんなことを話した人がいた。「さほど被害のなかった内陸の人が、自分は震災でさほどの被災はしていないから、震災の話をするのが憚れるという人がいた。」という内容だった。その話がどういう経緯で、この場で語られ、次の人にどのように引き継がれていったのか、私は覚えていないけれど、私自分も「震災のことを話すことが憚れる」思いであり、まったく同じだと発言した。
私は、東日本大震災に関連した詩を版画家竹林嘉子女史との詩画作品の共同制作で幾篇か書いている。それは、竹林女史の版画に寄り添った言葉で、震災に自分が向き合ったものではない。その他に自分の体験を書いたものは一編だけあるが、それとて主題は自分自身のことであり、震災のことを真正面から取り上げたものではなかっ…